ミレーの名画をあなたのお部屋に・・・

『労働者』を描き続けた美のリアリスト ミレー

ジャン=フランソワ・ミレー
Jean-Francois Millet (1814-1875) フランス  
写実主義、バルビゾン派

ミレーは、人間の苦しい労働とその尊さを描きつづけました。

民衆を描いた絵画は中世以来存在していますが、ミレーは、従来の画家とは根本的に異なっていました。伝統的な歴史画やキリスト教絵画が主流であった時代に、現実社会を正面から取りあげ、ひたむきに謙虚に生きる庶民の姿を描いたのです。後世の画家たちに大きな影響を与えたことは言うまでもありません。


所蔵 オルセー美術館
サイズ (縦 70cmx横 85cm) 号数 P15号


ミレー「落穂拾い」
ノルマンディ-地方シュルブ-ル近くの信望ある農家に生まれたミレ-は、19歳から絵を習い始め市の奨学金を貰ってパリで勉強し26歳でサロン展に初入選します。1852年頃から落穂拾いを主題とした作品を考えた様で多くの習作が残っています。最下層の労働に従事する3人の農婦の姿を描いて社会的メッセ-ジを打ち出し、サロンに出展するが物議をかもしました。1966年に東京国立博物館で展覧され大評判を呼びました。

 

ミレーは、英仏海峡に面したフランス・ノルマンディ地方、シェルブール港近郊の寒村グリュシーの農家に生まれました。

小さいときから農村での過酷なまでに厳しい労働をみずから体験して育ちます。

そして絵の才能を認められ、19歳でシェルブールの肖像画家に師事しました。1837年、シェルブール市より奨学金を得て、パリのポール・ドラロシュのアトリエに入門します。

しかし、せっかくのパリでの修業にもかかわらず師との折り合いが悪く、ルーヴル美術館で巨匠たちの作品の観察・研究に明け暮れる毎日でした。

1839年のローマ賞コンクールで入賞できなかったミレーはシェルブールに戻って、肖像画や看板絵を描いて生活するようになりました。しかし、このシェルブール時代に描いた2点の肖像画が、サロンに入選しました。

1841年、シェルブールでポリーヌ・オノと結婚しますが、3年後にポリーヌは結核のために死亡。1846年、ミレーは再びパリに行きます。

ミレーは、1845年から家政婦だったカトリーヌ・ルメールと生活をともにし、9人の子どもをもうけます。カトリーヌとの正式の結婚式は1875年、ミレーの死の直前に行われました。

ミレーが農村のテーマによる新しい作風の境地をひらいたのは、数年来のジャガイモの大凶作がもたらした1848年2月革命直後、1848年のサロン出品作品《箕をふるう人》によってでした。

翌1849年にはパリで猛威をふるったコレラを避けて家族とともにバルビゾンに移り住み、以来、バルビゾンで、無名の農民を主役にした作品を制作しつづけます。

そして1850年に《種を蒔く人》をサロンに発表。この年のサロンにはクールベが《オルナンの埋葬》を出品し、写実主義の決定的な誕生を見るに至った時期といわれています。


ミレー「種を蒔く人」
ミレーがもっぱら農民画を描くのは1849年バルビゾンの村に移ってからで、これは1851年サロン展に出品されました。ボストン美術館に同構図の絵があります。

所蔵 山梨県立美術館
サイズ (縦 73cmx横 61cm) 号数 P10号

しかし、ミレーは経済的困難をともなう生活を強いられました。ミレーの作品の一部が批評家や大衆に認められず、農民に反乱を教唆するものとして激しい攻撃を受けることすらあったために、売れなかったのです。

とくに1857年のサロン出品作品《落穂拾い》、1863年のサロン出品作品《鍬をもつ男》が激しい批判にさらされ、子だくさんのミレーは、絵画や版画をごく安い値で売ることを強いられました。

ようやくミレーが最初の大成功をおさめたのは、1864年のサロンに発表した《羊飼いの少女》で、それ以降、作品の評価が急激に上昇します。1867年の万国博覧会で1等賞のメダルを獲得して以来、注文が増え、栄誉が与えられたことで晩年の10年間の生活は以前よりも楽になりました。1868年、レジョン・ドヌール勲章を授与されます。


ミレー「羊飼いの少女 」
1864年のサロン展に出品、一等賞をとり好評を博します。大地と農民を描く事に集中し、敬虔な祈りを表現していますが、次第に風景に専念して行きます。

所蔵 オルセー美術館
サイズ (縦 55cmx横 67cm) 号数 P10号

1875年1月20日、バルビゾンで死去。シャイイの墓地に友人テオドール・ルソーと並んで埋葬されました。

ミレー没後、1889年には、《晩鐘》がパリのオークションにかけられ、フランス政府とアメリカ芸術家協会の一騎打ちとなり、当時としては史上最高の80万フランという高値を記録します。ミレーの《晩鐘》《落穂拾い》《羊飼いの少女》は、その後世界中で複製され、彼の名を不朽のものとしました。

ミレー「晩鐘」
ミレーが幼い頃、夕刻の畑で鐘の音に合わせて死者のためにアンジェルス(天使)の祈りをするよう、祖母に教えられた想い出を基に制作。
 「かって祖母は教会の鐘が聞こえると畑の仕事をやめ、帽子をとって祈りを唱えさせたものだ。それを思い出して描いた。」とミレーは書いてます。

所蔵 オルセー美術館
サイズ (縦 85cmx横 73cm) 号数 15号

 


ミレー「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」
地平線に沈む真っ赤な太陽を背に受けて、人間が大自然と同化する崇高な瞬間の情景を安定感のある構図で表し「種を蒔く人」の<動>に対し<静>を代表する傑作といえます。


所蔵 山梨県立美術館
サイズ (縦 61.0cmx横 73.0cm) 号数 P10号

 



ミレー「ヴォージュ山中の牧場風景
所蔵 山梨県立美術館
サイズ (縦 61cmx横 73cm) 号数 P10号

晩年のミレーはたくさんのパステル画を制作しました。

この作品は1868年9月、友人でありミレーの伝記作家のアルフレッド・サンシエとドイツ国境近くのヴォージュ山中を旅行した際にスケッチをもとに描かれたものです。

その時のスケッチには中央の青い山は存在していなく、ミレーの創作であると言われています。

 


親友テオドール・ルソーが没し、その顧客だったアルトマンがミレーに注文した四季の絵の一つで、春の嵐のような俄雨があがって虹が空にかかり、中央から左は日が射し右下は暗いという不気味な瞬間をとらえています。

ミレー「春」
所蔵 オルセー美術館
サイズ (縦 70cmx横 85cm) 号数 P15号


 

 
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